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1番得意なのは、映画レビューや海外ドラマ・海外テレビシリーズのレビュー。その他、ゲームのレビューやテクノロジー批評、音楽関連のレビュー経験もあり。文芸やノンフィクションの書評は経験がないけれど、無類の本好きなので挑戦したい。

 

映画・海外ドラマ・海外テレビシリーズのレビューや解説

リアルサウンド映画部
http://realsound.jp/movie/2016/03/post-1171.html

http://realsound.jp/movie/2016/04/post-1441.html

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IGN Japan
http://jp.ign.com/m/movie/10414/feature/201710

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シネマズby松竹(現 シネマズPLUS)
スリー・ビルボード』が永遠に語り継がれるべき、3つの大いなる魅力 |https://t.co/qKCtRnJhtT

 

FUZE

大麻は麻薬犯罪の防波堤になるか? ドキュメンタリー『420の伝説』から、アメリカ社会の根底にあるバイアスがみえてくる
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FINDERS

アメリカの男根主義」を真正面から問う意欲作『キング・オブ・メディア』

https://finders.me/articles.php?id=478

毒親」のトラウマをえぐりまくる、『ゴーン・ガール』作者のデビュー作をドラマ化した『KIZU―傷―』

https://finders.me/articles.php?id=53

 

テクノロジー批評やゲームレビュー

リアルサウンドテック

スマホ中毒は麻薬の蔓延より大きな危機? 米メディアが伝える厳しい警告
http://realsound.jp/tech/2018/04/post-179084.html

“ゲームオーバー”が存在しないゲーム『ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム』が描く人生

https://realsound.jp/tech/2018/06/post-204017.html

 

音楽関連のレビュー

block.fm

K-POPガールズグループBLACKPINKの音楽性やダンスに焦点を当てた紹介記事

https://block.fm/news/grammy_coachella_blackpink

 

Netflixドラマ『マニアック』トラウマ/めまい/データ経済から読み解く

近いうちに未見の人向けのレビューを掲載させていただきますが、完走した人向けの考察をアップします。
以下、『マニアック』レビュー。

映画、ドラマ、ゲームに触れて、目の前に映っているのはフィクションであるはずなのに、自分の心の中をのぞいているような錯覚におちいる。妙な「リアリティ」を感じてしまう。そんな経験はないだろうか?

 私たちは画面に映るものを見ている、という客観的事実は揺るがない。
 画面を見るという行為は、画面に映るイメージを見ているだけではなく、そのイメージを自分の脳内で組み換え、解釈や思い込みも交えた自分にとっての「事実」を見ている。 そんな客観的事実と主観的事実の曖昧さテーマとし、画面の向こうの登場人物たちも、それにとらわれていく様子を視聴者に突きつけるのが本作だ。
 つまり、「私たちも登場人物たちも、客観的事実と主観的事実が曖昧な状況で世界を見ている」というメタ構造になっている。それ故に、私たちの住む世界で普段経験するようなリアリティとは異なった、めまいのするような「リアリティ」を感じるのだ。

『マニアック』は2014年ノルウェー製作の同名ドラマをNetflixがリメイクしたリミテッドシリーズ。製作総指揮、全10話監督、脚本を務めるのは、キャリー・ジョージ・フクナガ。映画では、『闇の列車、光の旅』、『ジェーン・エア』、『ビースト・オブ・ノーネイション』などを監督。また、「007シリーズ」 次回作の監督に抜擢されている。ドラマでは、『TRUE DETECTIVE』の製作総指揮、監督を担当。
また、製作総指揮、脚本を担当したもう1人の中心人物は、ドラマ『LEFTOVERS/残された世界』にてプロデュースと脚本を務めたパトリック・サマーヴィル。
オーウェン・ミルグリム(ジョナ・ヒル)は大富豪ミルグリム家の五人兄弟の五男。精神を病んだことを機に、家族から疎外されている。彼は仕事を首になり、何もかもを失くしていた。失意の中で帰宅途中、突然、奇妙な男から、ある女性の家族の写真を見せられ、「お前は彼女といっしょに世界を救うことになる」と告げられる。また、他の奇妙な男から、「長い間仕事に就かないでいるとダメになる。ネバーダイン・バイオテックで治験を受けたらどうだ。世界を救う存在になるはずだ」との啓示も得る。それから、ネバーダイン・バイオテックにて、向精神薬開発の治験を受けることに。そこで、以前見せられた写真の女性アニー・ランズバーグ(エマ・ストーン)と出会う。オーウェンとアニーは、治験プログラムを通じ、精神世界を共有していく。

あらかじめ強調しておきたいのは、正確な解釈は存在しないということだ。一応、Vultureで全体を整理した素晴らしい解説もなされてはいる。しかし、その記事でも開けた解釈を推奨し、またフクナガもそう言及している。その前提に立ち、私は本作を読み解くキーポイントにトラウマを据えている。なぜトラウマなのか? オーウェン・ミルグリム(ジョナ・ヒル)、アニー・ランズバーグ(エマ・ストーン)、ジェームズ・マントルレイ博士(ジャスティン・セロー)ら3人がある過去の件から心に深い傷を抱え、以降、心・脳・身体に多大な影響を受けていると次第に判明していくからだ。
 本記事では未見の人のためにも、ネタバレはある程度避けつつ理解の手助けとなるような見方や私の解釈は提示していきたい。

 何らかの精神疾患を抱えた登場人物たちが、ネバーダイン製薬バイオテックに新しい治療薬のための治験に参加。具体的内容は、A、B、C三種類の錠剤を順に飲んでいき、それぞれの段階で脳波をAIが調べ、段階に応じて被験者の心の世界を彼らに見せる。Aはトラウマとなった出来事を見せる。Bは普段の生活では気づかないような潜在的記憶をもとにした情景を映し出す。最終段階のCは、心の中でトラウマを克服するための物語を投影する。しかし、治験の段階を経ていく中で様々なトラブルが発生。被験者の心の中を形成するAIも機能に支障をきたしていく。さらに、錠剤やAIの開発に関わったジェームズも、母親とのコミュニケーション不全により、母親代わりとして開発したAIをコントロールできなくなる。そういった一連の流れが、エピソードの進行とは同一の時系列で提示されなかったり、登場人物たちのいる世界が現実なのか心の中なのか、はっきりとは提示されなかったりする。そのため、1話1話複数回見ることもおすすめしたい。迷子になりづらくはなるし、作中に散りばめられた様々な描写がつながっていく状況に気づけるだろう。

 主人公オーウェンの家では、「ミルグリム家の男は常にトップだ」、ということを家訓にしている。そのため、精神疾患で会社を辞めたオーウェンは、家族の一員として受け入れられていない。一家を描いた絵画の中にもオーウェンの姿はなく、小さい額縁に一人だけの自画像がある。同時に、オーウェンの兄ジェド(ビリー・マグヌッセン)はある容疑で裁判にかけられており、有罪か無罪かはオーウェンの証言にかかっている。そのときだけ父親や兄から都合よく「家族のために無罪と証明してくれ」と頼まれていた。そんな中、彼をミルグリム家の一員として認めたいと思っている人もいる。ジェドの恋人アデレード(ジェミマ・カーク)だ。彼女は、「オーウェンもミルグリム家の一員と認められるまで婚約しない」と誓っていた。
 また、オーウェンは彼女を慕い、アデレードに告白めいたこともする。しかし、その後、オーウェンがジェドからミルグリム家の一員として認められる前に、ミルグリム家にてジェドがアデレードと婚約したことをオーウェンの目の前で発表される。その直後、彼は自宅屋上から飛び降り自殺を図った。

アニーはA錠を繰り返し服用している(本作で描かれる治験の前にどのようにして手に入れたのかは言及されていない)。なぜなら、妹のエリー(ジュリア・ガーナー)とドライブの途中、トラックと衝突したことでエリーを亡くした日を何度も夢見たいから。夢の中でなら会えるという妄念にとらわれている。
ジェームズの場合、描写の断片から察するに、母親の不倫により父親が失踪。それが原因で母親はジェームズの布団に入り、「首をつりたい」と告げた。セラピストである彼女がなぜそのようなことをこぼすのか、ジェームズはそれ以来「心について知りたい」という思いから神経化学者を志した。「人類は無意味で不要な精神の痛みから解放されるべきだ」という思いを胸に、A、B、C錠とAIを用いた治療法を開発するようになる。
そんな彼らは、臨床試験を経るにつれて、トラウマと向き合い、「どうすれば現状より少しでも前に進めるのか、もがき苦しむ。しかし、その先にはすがすがしいラストが待っている。

 精神科医でトラウマの研究者ベッセル・ヴァン・デア・コークは、自著「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」(柴田裕之訳、紀伊國屋書店)の中で、"トラウマは単に過去のある時点で起こった出来事ではなく、その体験によって心と脳と体に残された痕跡でもあることを私たちは学んだ。その痕跡は、人体が現在をどうやって生き抜いていくかを、引き続き左右し続ける"と述べている。これはまさしく、オーウェン、アニー、ジェームズら3人のそれぞれの悲劇的体験とトラウマが、その後の思考や行動パターンを決定づけていることにも当てはまる。さらに言えば、私たちのインターネット社会とも重なるのではないか? ブラウザから検索していく中で履歴が残る。それは記録され、ターゲティングされた広告やネットショッピングでのお気に入り商品が画面を覆いつくす。自分の本来の意志や好みによって描かれる主観的事実の世界が、アルゴリズムと融合した「意志」や「好み」に書き変えられる。第1話で言及される欲望管理局(市民の思考や行動パターンをまず記録。そこから各人の欲望が何なのかを計算し、個々人が潜在的に見たいとされるものを見せる政府機関。陰謀論上の存在とされている)という存在やそこと紐づくともとれる形で、作品内には登場人物の欲求を基にしたようなおせっかいなメッセージであふれかえる。トラウマというパーソナルでセンシティブなテーマを扱っているが、インターネットに個人情報を託した私たち全員に突きつける風刺でもあるのだ。画面を通じて「登場人物/自分は何を目にしているのか曖昧な状況」を見ると同時に、「プライバシーから立ち上がる個人の欲求を可視化した社会」も目にする。本記事の冒頭で説明したメタ構造とも重なる。

ただ、あくまでもこれは無数にある中の解釈の1つにすぎない。完走した人たちの中で話し合うのがベストだろう。

主な執筆履歴一覧

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DRAMA GEEKs[ドラマギークス]
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シネマズby松竹
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“ゲームオーバー”が存在しないゲーム『ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム』が描く人生

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大麻は麻薬犯罪の防波堤になるか? ドキュメンタリー『420の伝説』から、アメリカ社会の根底にあるバイアスがみえてくる
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FINDERS

アメリカの男根主義」を真正面から問う意欲作『キング・オブ・メディア』

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毒親」のトラウマをえぐりまくる、『ゴーン・ガール』作者のデビュー作をドラマ化した『KIZU―傷―』

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その他、ポップカルチャー紹介サイトthe riverでアメコミの英字記事まとめ。政治系メディアPlatnewsにて政治・社会問題系の記事、某大物政治家へのインタビューと記事化経験などもあり

『私の少女』―私と少女の業は深い―

『私の少女』

 プロデューサーのイ・チャンドンは、極小の世界から、しばし重苦しい主題を投げかける。『シークレット・サンシャイン』(2007)では、シングルマザーが一人息子を誘拐殺人で失い、その不条理さから宗教に入信するが、そこから二転三転して、「何かにすがる必要はあるのか」というテーマを観客に突きつける。続く『ポエトリー アグネスの詩』(2011)では、老婆が孫息子のいじめ自殺事件への関与から目を背け、詩の教室に通い、なんとか罪の意識から逃避を試みるが、生みの苦しさを経て悲劇に見舞われる。常に低予算で撮られた、市井の人々の生活を見て、観客はわだかまりを抱えながら劇場を後にする。

 本作は港町を舞台に、幼児虐待、同性愛、外国人不法就労を扱ったヒューマンドラマである。本作も例外なく、一人の少女と、彼女を心配する女性、少女の父親(ソン・セビョク)が主な登場人物で、他の人物は物語上の背景でしかない。ソウル市警から左遷されたエリート警官ヨンナム(ペ・ドゥナ)は、ある日一人の少女と出会う。名前はドヒ(キム・セロン)。母親が蒸発して、父親と祖母からの虐待を受けている。彼女は家庭内の暴力に耐えかね、家を飛び出し、ヨンナムの家を行き来するようになる。ある日、ドヒの祖母の変死体が発見された。オートバイ事故だったように見られた。ヨンナムは彼女から、祖母の変死に関して目撃証言を得ようとするが、聞き出せない。その後は父親が祖母の死を彼女のせいにして、さらに八つ当たりを繰り返す。彼女を看過できなかったのか、ヨンナムはドヒと同棲生活を始める。

 本作は、ヨンナムが変死事件の捜査で、ドヒを見つめるショットが肝と言える。少女から証言を聞き出す際、ヨンナムの顔は極大のアップになる。それ故、少女から見たらヨンナムは大きな存在に見える。

 ドヒはヨンナムに、数々の虐待の痕を見せ、自分の哀れさを強調する。ともに風呂に入り、酒も呑む。ショッピングモールで水着を買い、彼女と海で遊ぶ。そのため、ヨンナムが元の彼女と再会し、ドヒに長らく連絡をしないと、嫉妬心からドヒは大暴れする。その後父親が彼女の迎えに来た際、躊躇なく元の家に帰ってしまう。

 ファム・ファタルとは、主人公の人生を狂わせていく存在である。ドヒも例外なく当てはまる。生まれ育った環境のせいなのか、生き抜くためのたくましさがある。ヨンナムの家で居候を始めてからは、異様な艶めかしさを放ち、同性愛者の彼女を魅了する。また彼女は自宅に帰宅後、虐待の証拠として父親を誘惑し、性的虐待を装い、電話口から音声を警察に届ける。その後ある事情から、ヨンナムは警官を止め、ドヒとの二人の世界に没入していく。少女にとって大人はどう映るのか。見透かして、容易くコントロールできる対象なのだろうか。10代少女の魅力からは、想像を絶するおぞましさが感じとれる

予定調和を崩せるか 『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』

♪手にはAK-47

肩にはバズーカ

邪魔する奴らは頭を吹っ飛ばす

俺たちは血に飢えているんだ

殺しには目がないぜ

 これは、麻薬カルテル(麻薬産業を牛耳る犯罪組織)のボスを民衆のヒーローとして讃えるポップ・ソング(ナルコ・コリード)の歌詞だ。

 本作はメキシコ麻薬戦争とナルコ・コリードを扱ったドキュメンタリー映画である。

メキシコ麻薬戦争とは、フェリペ・カルデロン大統領が2006年12月に麻薬カルテル壊滅のために宣戦布告した戦争である。なぜ戦争なのか。それはカルテルが単なる麻薬のマフィアではなく、民兵組織化されたファミリーであるからだ。カルデロン大統領は2006年から2012年にかけて、メキシコ中の都市や村々に5万人の兵士と5万人の連邦警察官を送りこんだ。その間の死者数は3万4千人を超える。

本作の舞台はメキシコの街シウダー・フアレスとロサンゼルス。それら各々の地でのシーケェンスが並行して交互に語られていく。

 「世界一危険な街」とされるシウダー・フアレス。およそ100万人の人口を超えるこの街では、年間3,000件を越す殺人事件がある。地元警察官リチ・ソト。彼はカルテルの脅威に屈せずに捜査し続けている。彼の同僚は1年に4人殺された。カルテルによる処刑である。そこは一歩道を外せば死の世界。そんな状況の中、さらに被害者遺族からは事件の捜査が進展していないと糾弾される。だが彼は、目と鼻の先にあるアメリカ合衆国の都市エルパソに移住しようとしない。その地が年間殺人件数4件にも関わらずだ。彼の故郷を思う気持ちは強く、街を少しでも良くしたいとの信念から、決して離れようとしない。

 一方ロサンゼルスのシーケェンス。ナルコ・コリードの歌手エドガー・キンテロはその人気に乗ってのし上がる若者だ。彼はカルテルの武勇伝を連想させる作詞を依頼され、それを歌にしてCDをリリースする。その内容は、殺し、拷問、誘拐、麻薬密輸にまつわる暴力的なもの。ゆえに若者からの圧倒的な支持でキンテロは巨万の富を築く。さらにボスに呼ばれ、演奏を披露することもある。彼としては誇り高いことこの上ない。  

 私は以前からメキシコ麻薬戦争の関連事に興味を抱き、それを題材にしたフィクション、ノンフィクションを問わず、あらゆる素材に触れてきた。ドキュメンタリー映像以外ではあるが。そのため、ある程度情報が入っていた。そして、既知情報に還元される映像しかないだろうと思いこんでいた。それは予想通りでもあった。

 佐藤真は、「ドキュメンタリー映画の地平―世界を批判的に受けとめるために〈上〉」にて次のように言及する。「ドキュメンタリー映像はキャメラの目の前にある事実を映しとる。目の前にいながらも気づかない細部や撮影者の意図を超えたものまで、目の前にある事実をそっくりそのまま映しとる映像のこの機械的再現性によって、映像に映された事実は決して文字情報に還元できない」と。

 だが、各々のシーケェンス単体はそうではなかった。別個に見せられただけなら“既読感”が強く、退屈な映像となったであろう。いかに命を賭したアプローチであろうと情報フィルムに価値はあるのか。また、ドキュメンタリー映画という一定の時間枠に収めるべき手法では、情報をミスリーディングし得る。例えば、本作ではメキシコ麻薬戦争の原因を、それを宣言したカルデロンが元凶であるかのような情報を伝える。しかし、観客にそう認識されるとしたらそれは完全な誤解だ。激化した原因は多々あるが、一つはセタスというカルテルが火に油を注いだことだろう。事実「セタスはギャングのような考え方はしない。彼らは、その地域を支配する民兵組織のような考え方をする。その新しい戦闘方法は、急速にメキシコの麻薬戦争に浸透していった」と、ジャーナリストのヨアン・グリロは「メキシコ麻薬戦争」にて書いている。

 死体の写真も凡庸だ。私は10年ほど前からアルカイダの人質処刑ビデオなどで人間の死に際を見た経験があり、メキシコ麻薬戦争犠牲者の写真もインターネット上に数多くアップロードされているため、既視感が強い。ネット上の写真を見た際の印象も特殊メイキャップアーティストのディック・スミスのボディ(死体)メイクとほとんど変わらず、驚きはほとんどなかった。昨今、メディア上の死体が生命の潰えた本物であったとしても物好きな嗜好の観客にとっては何の迫真性もない。

 では、予定調和のみで構成されているのか。実際そうではなかった。

  フアレスのシーケェンスの地元警察官ソトと、ロサンゼルスのシーケェンスのナルコ・コリード歌手キンテロとの状況の対比である。ソトを追った切実な現況を見ると、キンテロの能天気さが浮かび上がる。彼はメディアを介さない感覚世界ではカルテルの凶暴さを知らない。「憧れた世界」こそが現実であると錯覚してしまうのだ。カルテルの神話を歌い、全米のウォルマートでも販売されビルボードにもランクインする。その歌を聴いた少年たちはカルテルのメンバーとなり、キンテロは武勇伝を歌にし、新たにカルテルのメンバーが増え、カルテルの神格化は強まる。こうして次第にナルコ・コリードは発展していく。キンテロは図らずとも広報担当となる。監督のシャウル・シュワルツは「ジャーナリストは、感じた『怒り』を上手く使うべき」といった言葉を残している。この「怒り」とはカルテルの暴力性なのは自明であるが、彼は犯罪組織による文化醸成の「怒り」も伝えたいのかもしれない。

『チェンジリング』

 モノクロのユニバーサルのロゴで幕を開ける。当時のテクノロジーを反映したのか、冒頭も同じく、そして俯瞰ショットで始まる。本作の内容は真実に基づく。舞台は大恐慌を挟んだロサンゼルス。シングルマザーの母親クリスティンには息子ウォルターがいる。彼女は電話交換所のキャリアウーマンでもある。ある日息子と映画を見に行く予定だったが、急遽仕事が入り、彼は留守番をすることになる。しかし帰宅後、彼は失踪していた。すぐさま警察に通報する。だが警察は子供の場合、24時間経たない限り捜査に動きださない。さらに、ジョーンズ警部がようやく調査に乗り出したところで、自分の息子とは違う子をクリスティンに差し出す。彼女は反抗するものの、一向に取り合ってもらえない。帰宅してから身長を測る。ウォルターの背より明らかに低い。風呂では取り違い子が割礼されてるのにも気づく。彼は母親にママと言う。彼女は皿を壁にぶつける。

そんな折、強権的な警察と抗うブリーグレヴ牧師と出会う。彼とともに悪徳警察と立ち向かうため、彼女は記者に対して「自分の息子が誘拐されたあげく、市警からは息子とは違う子を引き渡された」と訴えるも、精神病院に強制入院させられる。そこの環境は最悪である。患者を囚人のように扱い、シャワーでの拷問も平気で行う。さらに、少しでも発狂しようものなら、『ブレインストーム』のような機械によって鎮静させられる。

一方、クリスティンの件と並行し、ワインヴィル牧場に住む不法入国者の捜査が始まる。その件を担当したヤバラ刑事は、そこで出会った少年サンフォードから、連続誘拐殺人の事情聴取をしていく。

そうしてクリスティンの反抗と事件の真相究明が交差していく。

本作は全要素が高水準でウェルメイドなため、特筆すべき点の言葉に窮する。また、著者はイーストウッド作品にリアルタイムで触れた作品も少ない。しかし、あえて言及するならばワンカットでの焦点移動である。二つのメインストーリーが交差するのもそこだ。警察署にて、クリスティンが移動しながら警部に抗議する動線を交差し、ヤバラ刑事は本部長の元へ向かい、例の件の調査を命じられる。そのシークェンスをワンカットで繋いでいく。その交差の流麗さがなんとも心地よい。また、彼がサンフォードに尋問する際、複数の少年の写真を見せ、少年がウォルターの存在を認識すると、刑事のバストショットから吸っていた煙草の灰に焦点が移り、アップとなって、フィルターまで徐々に接近する。そのシークェンスは、本作のキーポイントとなるが故、緊迫感が顕在化する。

本作に平明なカタルシスはない。最終的に市警の上層部は罰せられ、一方で事件の犯人も処刑されるが、最後までウォルターは再登場しない。生死が判明しないまま、「クリスティン・コリンズは生涯息子を探し続けた」との字幕が表示され、エンドクレジックへと向かう。

『ギレルモ=デル・トロ創作ノート 驚異の部屋』書評

   ギレルモ・デル・トロは、1964年にメキシコに生まれ、現在ハリウッド映画界の第一線をひた走る映画作家である。彼は随所で宮崎駿大友克洋寺田克也、韮崎靖を尊敬しているなど、日本のポップカルチャーからの影響を多分に感じさせる発言をしている。また、昨年公開された『パシフィック・リム』では、日本の巨大ロボットアニメとkaijuにオマージュを捧げたと取材に答えるなど、ティム・バートンと並び日本オタクの映画作家と言及されている。ちなみに怪獣映画に関しては、「子供の頃、『フランケンシュタインの怪獣   サンダ対ガイラ(The War of the Gargantuas)』をメキシコの映画館で観たんだけど、劣悪な環境の劇場でね。2階席からおしっこをかけられたんだよ。それでも僕は席を立たず、映画を最後まで観た。どれだけ僕が怪獣好きかわかるエピソードだろう?」

と言い残す。

    ただ、デル・トロという映画作家に関する批評はほとんどなされなかったと言ってよいだろう。一部の映画ファンの間でカルト的な人気のある『ヘルボーイ』シリーズなどはあるが、アカデミー外国語賞にノミネートされた『パンズ・ラビリンス』と関連付けて語られることしかり。

    本書はそんなかゆいところに手が届くものだ。創作の原点、荒涼館と自称するデル・トロのあらゆるコレクションに囲まれた創作オフィス、映画制作全般に関する持論、著者マーク・スコット・ソルズベリーによるデル・トロ全作品解説、創作ノート、ジェームズ・キャメロンなど友人からの賛辞で構成される。その中で著者とデル・トロとのインタビューで大半が占められている。

    本書を読むとデル・トロ映画が批評されなかった理由が分かる。彼は作品に対して自己言及的で、自身の映画のほとんどを説明できてしまうからだ。実はその様相が作品ソフトのコメンタリーからうかがえる。例えば代表作『パンズ・ラビリンス』においてキャスティングから歴史的背景、細かいショット、会話を含めた脚本、セット、クリーチャーに至るまで、彼はどのアイディアを源泉としているのか、著者の質問に理路整然と答えている。彼の自作に対する自己言及は作品に関するインタビューのみならず、生育過程も大きく関与していることが分かる。彼は4歳の頃から7歳の頃から20歳まで2日で1冊のペースで読書していたことを告げている。その中で、エドガー・アラン・ポーナサニエル・ホーソーンヴィクトル・ユーゴーなどの古典文学者の作品、『家庭医学の大百科』などの百科事典、全十巻の『美術鑑賞の仕方』なる事典など、枚挙にいとまがない。自身の教養を武器にアイディアを創出しているからこそなし得るのだ。さらに20代から(最近亡くなった)特殊メイキャップアーティストのディック・スミス門下生として弟子入りし、修業をつんでいた。そのあたりも彼らしいぬかりのなさだ。

    また彼デル・トロは批評の哲学も持ち合わせる。「映画学校では『批評家は、作品がどこに存在し、作品の意図が何である、どういうわけで作品が意図を上手く伝えられないのかを作り手に示す必要がある。批評の筋を通すために』と習う。批評は意見ではない。解釈だ。そして、批評の根幹を読めば、本当の分析が分かるんだ」と言及している。彼にとっての一番の批評家は間違いなく彼自身である。

   本書ではデル・トロの未完成作品のアイディアも提示されている。例えば『ミートマーケット』。彼はそのアイディアを次のように述べる。「宣伝文句はこうだ。『オペラ座の怪人』を彷彿おとさせる、精肉工場版『ハムレット』。我らがスターで食肉加工業の息子アーニーが、オフィーリアに恋をする。伯父に父親を殺されて食肉加工場を乗っ取られ、挙句の果てにその殺人の濡れ衣を着せられたアーニーは、腐った肉片まみれの下水道に身を隠す羽目に。だが最後には、オフィーリアを救うべく彼は舞い戻る。」デル・トロ信奉者は、一刻も早く彼のハードボイルドものを見たいものだ。