『ギレルモ=デル・トロ創作ノート 驚異の部屋』書評

   ギレルモ・デル・トロは、1964年にメキシコに生まれ、現在ハリウッド映画界の第一線をひた走る映画作家である。彼は随所で宮崎駿大友克洋寺田克也、韮崎靖を尊敬しているなど、日本のポップカルチャーからの影響を多分に感じさせる発言をしている。また、昨年公開された『パシフィック・リム』では、日本の巨大ロボットアニメとkaijuにオマージュを捧げたと取材に答えるなど、ティム・バートンと並び日本オタクの映画作家と言及されている。ちなみに怪獣映画に関しては、「子供の頃、『フランケンシュタインの怪獣   サンダ対ガイラ(The War of the Gargantuas)』をメキシコの映画館で観たんだけど、劣悪な環境の劇場でね。2階席からおしっこをかけられたんだよ。それでも僕は席を立たず、映画を最後まで観た。どれだけ僕が怪獣好きかわかるエピソードだろう?」

と言い残す。

    ただ、デル・トロという映画作家に関する批評はほとんどなされなかったと言ってよいだろう。一部の映画ファンの間でカルト的な人気のある『ヘルボーイ』シリーズなどはあるが、アカデミー外国語賞にノミネートされた『パンズ・ラビリンス』と関連付けて語られることしかり。

    本書はそんなかゆいところに手が届くものだ。創作の原点、荒涼館と自称するデル・トロのあらゆるコレクションに囲まれた創作オフィス、映画制作全般に関する持論、著者マーク・スコット・ソルズベリーによるデル・トロ全作品解説、創作ノート、ジェームズ・キャメロンなど友人からの賛辞で構成される。その中で著者とデル・トロとのインタビューで大半が占められている。

    本書を読むとデル・トロ映画が批評されなかった理由が分かる。彼は作品に対して自己言及的で、自身の映画のほとんどを説明できてしまうからだ。実はその様相が作品ソフトのコメンタリーからうかがえる。例えば代表作『パンズ・ラビリンス』においてキャスティングから歴史的背景、細かいショット、会話を含めた脚本、セット、クリーチャーに至るまで、彼はどのアイディアを源泉としているのか、著者の質問に理路整然と答えている。彼の自作に対する自己言及は作品に関するインタビューのみならず、生育過程も大きく関与していることが分かる。彼は4歳の頃から7歳の頃から20歳まで2日で1冊のペースで読書していたことを告げている。その中で、エドガー・アラン・ポーナサニエル・ホーソーンヴィクトル・ユーゴーなどの古典文学者の作品、『家庭医学の大百科』などの百科事典、全十巻の『美術鑑賞の仕方』なる事典など、枚挙にいとまがない。自身の教養を武器にアイディアを創出しているからこそなし得るのだ。さらに20代から(最近亡くなった)特殊メイキャップアーティストのディック・スミス門下生として弟子入りし、修業をつんでいた。そのあたりも彼らしいぬかりのなさだ。

    また彼デル・トロは批評の哲学も持ち合わせる。「映画学校では『批評家は、作品がどこに存在し、作品の意図が何である、どういうわけで作品が意図を上手く伝えられないのかを作り手に示す必要がある。批評の筋を通すために』と習う。批評は意見ではない。解釈だ。そして、批評の根幹を読めば、本当の分析が分かるんだ」と言及している。彼にとっての一番の批評家は間違いなく彼自身である。

   本書ではデル・トロの未完成作品のアイディアも提示されている。例えば『ミートマーケット』。彼はそのアイディアを次のように述べる。「宣伝文句はこうだ。『オペラ座の怪人』を彷彿おとさせる、精肉工場版『ハムレット』。我らがスターで食肉加工業の息子アーニーが、オフィーリアに恋をする。伯父に父親を殺されて食肉加工場を乗っ取られ、挙句の果てにその殺人の濡れ衣を着せられたアーニーは、腐った肉片まみれの下水道に身を隠す羽目に。だが最後には、オフィーリアを救うべく彼は舞い戻る。」デル・トロ信奉者は、一刻も早く彼のハードボイルドものを見たいものだ。