『チェンジリング』

 モノクロのユニバーサルのロゴで幕を開ける。当時のテクノロジーを反映したのか、冒頭も同じく、そして俯瞰ショットで始まる。本作の内容は真実に基づく。舞台は大恐慌を挟んだロサンゼルス。シングルマザーの母親クリスティンには息子ウォルターがいる。彼女は電話交換所のキャリアウーマンでもある。ある日息子と映画を見に行く予定だったが、急遽仕事が入り、彼は留守番をすることになる。しかし帰宅後、彼は失踪していた。すぐさま警察に通報する。だが警察は子供の場合、24時間経たない限り捜査に動きださない。さらに、ジョーンズ警部がようやく調査に乗り出したところで、自分の息子とは違う子をクリスティンに差し出す。彼女は反抗するものの、一向に取り合ってもらえない。帰宅してから身長を測る。ウォルターの背より明らかに低い。風呂では取り違い子が割礼されてるのにも気づく。彼は母親にママと言う。彼女は皿を壁にぶつける。

そんな折、強権的な警察と抗うブリーグレヴ牧師と出会う。彼とともに悪徳警察と立ち向かうため、彼女は記者に対して「自分の息子が誘拐されたあげく、市警からは息子とは違う子を引き渡された」と訴えるも、精神病院に強制入院させられる。そこの環境は最悪である。患者を囚人のように扱い、シャワーでの拷問も平気で行う。さらに、少しでも発狂しようものなら、『ブレインストーム』のような機械によって鎮静させられる。

一方、クリスティンの件と並行し、ワインヴィル牧場に住む不法入国者の捜査が始まる。その件を担当したヤバラ刑事は、そこで出会った少年サンフォードから、連続誘拐殺人の事情聴取をしていく。

そうしてクリスティンの反抗と事件の真相究明が交差していく。

本作は全要素が高水準でウェルメイドなため、特筆すべき点の言葉に窮する。また、著者はイーストウッド作品にリアルタイムで触れた作品も少ない。しかし、あえて言及するならばワンカットでの焦点移動である。二つのメインストーリーが交差するのもそこだ。警察署にて、クリスティンが移動しながら警部に抗議する動線を交差し、ヤバラ刑事は本部長の元へ向かい、例の件の調査を命じられる。そのシークェンスをワンカットで繋いでいく。その交差の流麗さがなんとも心地よい。また、彼がサンフォードに尋問する際、複数の少年の写真を見せ、少年がウォルターの存在を認識すると、刑事のバストショットから吸っていた煙草の灰に焦点が移り、アップとなって、フィルターまで徐々に接近する。そのシークェンスは、本作のキーポイントとなるが故、緊迫感が顕在化する。

本作に平明なカタルシスはない。最終的に市警の上層部は罰せられ、一方で事件の犯人も処刑されるが、最後までウォルターは再登場しない。生死が判明しないまま、「クリスティン・コリンズは生涯息子を探し続けた」との字幕が表示され、エンドクレジックへと向かう。