シンプルプラン
【クレジット】
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無垢な白さの雪原。烏の頭からくちばしをクローズアップ、屋根の上で止まる狐、小屋の中で餌をつつく鶏。それら印象的なシークェンスをカメラは捕える。
そんな雪景色を舞台に物語は繰り広げられる。飼料会社を営むハンク、ハンクの兄で失業中のジェイコブ、同じく失業中のルー。彼らはそれぞれ人生に行き詰まりを抱えている。彼らが仲睦まじく過ごしている中で墜落した飛行機を発見。その飛行機の中で、ハンクはスーツケースを探り当てる。その中には440万ドル分の紙幣が入っていた。3人の中年男たちは話し合った結果、ハンクにスーツケースを預けることにする。その事実を聞かされたハンクの妻は産後、一家で逃亡という「単純な計画」を提案する。しかし、札束をめぐってそれぞれの思いが交錯し、人生を狂わされる。
一方、上述の動物たちはあざやかに描写される。彼らも死肉や穀類をつつく。物欲に駆られている。しかし登場人物たちには罪の意識が存在する。それ故、人間の欲求へのアイロニーがより際立つ。
『オーファン・ブラック』第1話
【概要】
根なし草で前科者のサラ。ドラッグディーラーの夫とは離婚。養母に預けた娘を連れて遠くへ逃げ、人生をやり直そうと考えていた。そんな時、自分とソックリな女性ベスが自殺する現場を目撃する。サラは義弟フェリックスの力を借りて自らの死を偽装。ベスになりすまし、彼女の貯金を奪って逃走資金に充てようとする。だが、誤算だったのはベスの職業が刑事ということ。そのうえ、生前に不祥事を起こしていた。正体を知られまいと四苦八苦する彼女の前に、またしても自分と瓜二つの別人が現れる。
※以上、SPO海ドラサイトを引用
まず、カット割りの細かさが顕著。例えばサラ(ベスになりすました女)を映し、そこでカットを割る。その後、充電器からケータイをとるカットになる。ふつう、映画ならここでカットを割らない。ジャンプカットも多用される。さらに海外ドラマ第1話は情報量が横溢。脳内をアドレナリン過多にするのだ。
サラが突然、刑事に連行される件、彼女は聴聞会に呼ばれる。ここからサラのなりすましにおいて、警察にバレるかバレないかサスペンスにもなる。刑事のマフィア潜入捜査もので使われる古典的なサスペンス手法だ。彼女は聴聞会直前に石鹸を飲み、会にて嘔吐してその場をしのぐ。ここは第1話のアイディアが光る出色のシーンだ。 とりあえずどのようなバレ方するのか気になるところ。
第1話のクライマックス。遺伝子学者でサラと瓜二つのカーチャ・オービンガー、サラが刑事と知っていて助けを求め、接触。だが謎の女は射殺される。
彼女の正体はいったい何者なのか、彼女を射殺したのはいったい誰なのか、興をそそられる。
『ラスト・ターゲット』評
【解説】
マーティン・ブースの『暗闇の蝶』(旧題『影なき紳士』)をジョージ・クルーニー主演で映画化したクライム・サスペンス。裏社会からの引退を決意した男が、イタリアの田舎町に身を隠し、最後の仕事にとりかかる姿をストイックなタッチで描き出す。監督は「コントロール」のアントン・コルベイン。
スウェーデンで女といるところを何者かに襲われ間一髪のところで危機を脱したジャック。闇の仕事を生業とする彼は、イタリアの小さな町カステル・デル・モンテに身を隠すことに。休暇にやって来たアメリカ人のカメラマンとして、神父をはじめ町の人々とも触れ合いながら静かな生活を送っていく。そんなある日、組織を介してマチルデと名乗る若い女から減音器付き狙撃ライフル制作の依頼を受ける。この仕事を最後に足を洗おうと考えるジャックだったが…。
<allcinema>
ラスト・ターゲット |
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The American |
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監督 |
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脚本 |
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原作 |
マーティン・ブース |
製作 |
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製作総指揮 |
エンツォ・システィ |
出演者 |
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音楽 |
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撮影 |
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編集 |
アンドリュー・ヒューム |
キャスト
役名 |
俳優 |
日本語吹替 |
ジャック / エドワード |
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クララ |
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マチルダ |
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ベネデット神父 |
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パヴェル |
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ファビオ |
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スウェーデンで女といるところを何者かに襲われ間一髪のところで危機を脱したジャック。
闇の仕事を生業とする彼は、イタリアの小さな町カステル・デル・モンテに身を隠すことに。
休暇にやって来たアメリカ人のカメラマンとして、神父をはじめ町の人々とも触れ合いながら静かな生活を送っていく。
そんなある日、組織を介してマチルダと名乗る若い女から減音器付き狙撃ライフル制作の依頼を受ける。
この仕事を最後に足を洗おうと考えるジャックだったが…。
ネタバレ注意
本作の特徴は、ミスリードへの誘導、用意周到な画作りと編集である。
ミスリードに関して、解説を補足する。まずこのプロットは二手に分かれている。多くの映画は二つ以上のプロットから構成されているが、メインとサブに分けられ、サブがメインの方へ第三幕目に絡み作品は終結する。しかし、本作からは二つのプロットのうちどちらがメインなのか、困惑させられる。
マチルダ関係の件。彼女はあくまでも仕事の仲介人であり、本来の依頼者の男パヴェルがいる。ちなみに彼はジャックの裏社会での悪行を熟知している。イタリアのとある市街地にて、ジャックはマチルダからライフルの素材を渡され、彼はそれを組み立てる。試作品を組み立て、彼女とともに試し撃ちするこの際、彼女が彼を襲うフラグが立っているが、結局何も起こらない。その後、彼は改良版のライフルを完成させ、とあるレストランにて大金で取引成立させる。このレストランに子供たち数十人が入っていくのがミソ。これは安全な場所で行われたことだと分かり、観客は安心してしまうから。
一方、クララの件。彼女は娼婦であり、ジャックが何度も指名するうちに彼に恋してしまう。彼女は平時でもジャックと会うようになる。彼はイタリアにて主に神父、例の娼婦などと日常的に接触するが、二人とも彼の血塗れた過去に関して次第に仄めかしてくる。
クララはある日、売春婦連続殺害事件の報道を聞き、拳銃を待つようになる。また、クララが剣呑な男たちと密会しているのをジャックは目撃。このようなプロットがある一方で、彼女は彼とのデートを重ねていく。二人だけの時間が長いため、いつ彼女が彼を殺すのか緊張が走る。
だが、結果として彼と彼女がデート中に、彼はマチルダから例のライフルで狙撃されそうになる。
一方、監督のアントン・コルベインは偏執狂なまでに画や編集にこだわり抜いている。
例えば、急斜面の丘地にある住宅街の麓をジャックが横切るショット、住宅街の中腹に神父が立っている。その後ジャックは例の神父と出会う。この神父は後にクララとともに観客の予想をミスリードさせる人物、つまりプロット上重要な人物である。
また、例えば冒頭、雪原の大地でジャックはスナイパーから襲われるが、その直前、カメラはジャックと彼が後に殺す女を遠景から捕えている。このショットがスナイパー視点なのは明らか。同様にあるシーンから次のシーンへと繋がれる編集も特徴的。市街地全体俯瞰のショットから、ジャックがそこの局地で佇んでいるショットへ移行するシーンなど。
コルベインは神の視点からすべてを駒のように動かしているのだ。
ジョニー・トー『ドラッグ・ウォー 毒戦』批評①
ジョニー・トー。彼の製作(制作)する映画は、ラブコメ、間や仕草の絶妙さで笑いを生むコメディ、パニック・アクション、クライム・サスペンス、クライム・アクションなど多岐に渡るが、特に近年はどれを製作(制作)しても傑作揃いだ。さらに、年に1〜2本撮るのを20年以上続けて来ている。香港を代表するエンタメ職人監督だ。
本作の設定、ストーリー・ラインは次の通り。麻薬の運び屋チャン・テンミン(ルイス・クー)はあるミスを犯し、中国公安当局に捕まる。中国では一定量の麻薬製造ビジネスに関与すると即刻死刑。そのためテンミンは、巨大麻薬組織への捜査協力と引き換えに、当局のジャン警部(スン・ホンレイ)に減刑を懇願。ジャンはこれを受け入れ、テンミンを入れた組織摘発チームを結成。ジャンとテンミンを中心に潜入捜査が進められる。しかし互いに信頼ならぬ関係性により、常に死の危険と隣り合わった展開に巻き込まれていく・・・・・・。
ジョニー・トーは特にクライム・アクションを撮らせたら世界一だ。①余分な説明を排し、小道具やワンショットで展開させるストーリー・テリング。②人物たちの生き生きとしたダイアローグ、もしくは言外のやりとり。③独特の外連味あるルックでありながら、同時にサスペンス性を保ち、さらにワンショットワンショットに情報を詰め込んだ銃撃戦。特にそれら三つの要素を絡め、一作一作毎回目新しいクライム・アクションを観客に呈示してくれる。それが世界一と言える所以のジョニー・トー印だ。
今作の舞台は香港ではなく、初めての中国本土。ジョニー・トーは今までの50作品のほとんどで、香港を舞台に制作してきた。中国本土では検閲が厳しい。公安の正確な描写、公安の扱う銃の統一、死人の量の制限、銃撃戦の制限他、数々の検閲に苦しめられてきたことをインタビューなどから漏れ聞く。しかし本作は、①余分な説明を排し、シビアでキビキビとしたストーリー・テリングで、潜入サスペンスを牽引。②公安のジャンが潜入捜査の最中、敢えてコカインを吸って見せ、大量の水分補給と氷風呂への入水など、ハッタリを利かせたコミカルな演出。③銃撃戦では、組織側のとある人間を、用意周到且つ数々の銃種を自在に駆使出来るといった設定とし、彼らは公安側を出し抜くため、サスペンスは緊密さを保持。
以上三つの要素の例から、検閲を突破、または上手く交わしてきたのが伺える。本作もまた例に漏れず、目新しい脚本・演出などから、何処をとってもジョニー・トー印なのが伺える逸品だ。
『ミミック』(97)
デル=トロの監督二作目であり、アメリカ映画デビュー作のモンスターホラー。
ニューヨークでゴキブリを媒介とした疫病で子供達が大勢亡くなる事態が発生。対抗策として、昆虫学者のスーザン・タイラー博士(ミラ・ソルヴィーノ)らはアリとカマキリの遺伝子を配合。さらに半年以内に死滅して、雌を不妊にさせる遺伝子操作も行った“ユダ”を創造した。それらは媒介となるゴキブリを殲滅に近い形で駆除した益虫に思えた。三年後、ニューヨークの地下で人間が次々に失踪する事件が発生。スーザンは偶然にもある少年からユダらしき昆虫を渡される。調査の進展により、オスが突然変異を起こしてユダが大量繁殖し、人間を捕食していることが判明。刑事と昆虫学者らは、地下に潜むユダの退治に向かう……。
タイトルのミミックは擬態という意味。人間に擬態するためこのタイトルである。
また本作のユダは、イエスの弟子十二徒のうちの一人で、イエスを裏切ったため、キリスト教圏では「裏切り者」の代名詞として使われる。
冒頭、スーザンらが大量の蠢動するゴキブリを捕まえるシーンを見て我々観客は生理的な恐怖を味わうことになる。それは後に幾度となく感応させられる気味悪さの予兆だ。前作でのクロノスからゴキブリが這い出る瞬間の不気味さと重なる。ユダには蠕動する効果音やその他の演出においてデル=トロのモンスター演出力を思い知らされる。以前、特撮博物展にて「怪獣には独創性溢れる効果音が不可欠だ」という解説を読んだ。デル=トロは正にそれを体現していると言える。ユダの操演はそれぞれ異なった演出であり、『エイリアン』(79)の捕食演出や『死霊のはらわた』(81)の死霊目線から高速で人間を追いかける演出など、先行作品の優れた演出を適材適所で活用している。さらに、ジョシュ(ジョシュ・ブローリン)が地下でユダから逃げてとある部屋の床から上半身だけ突き出した直後に、噛み千切る効果音と上半身の血飛沫だけで捕食を伝える演出には瞠目した。ユダの(肺やその他臓器を持つ)臓物は牛や豚の血抜きする前のホルモンのような造形で、そこから体液が横溢するのも説得力がある。ユダの体液は終盤物語上のある重要なポイントとなる。この臓物の質感は、後のデル=トロ作品でも頻繁に継承される。物語後半、ユダがスーザンを攫って辿り着いた場所は死屍累々な光景であるが、青白く美しい照明はユダの冷酷さを物語る。このライティングは、ビジュアルで他の事を物語るのに大変意識的なデル=トロの資質を反映しているものだと言える。クライマックス、同じ研究者として恋人のスーザンに水をあけられたピーター(ジェレミー・ノーサム)が漢気を発揮するとあるシークエンスがある。これはデル=トロの恋人または夫婦関係の反映かと勘繰りたくなる。彼は『クロノス』(92)製作時に借金が日本円で25億あった事を別の作品のコメンタリーで告白している。そんなことを踏まえると例のシークエンスには快哉を叫びたくなる。
『クロノス』
『クロノス』(92)
デル=トロの商業監督デビュー作でスペイン映画のヴァンパイアホラー。
16世紀、スペインの錬金術師によって作られたクロノス。それは永遠の命を得られると同時に人間の血以外受け付けないヴァンパイアへと変貌させる。幼い孫娘と平和な日々を送っていた骨董屋の老店主へスス(フェデリコ・ルッピ)は、ある日、陶器の中に隠されていたクロノスを発見してしまったことから、ヴァンパイアと化した自分に恐怖を抱きながらクロノスを巡る様々な陰謀に巻き込まれていく……。
クロノス強奪を企むチンピラ役としてデル=トロ作品常連のロン・パールマンが早くも登場。ヨーロッパの芸術映画らしい格調高き音楽や照明と、それらとは対照的でハマーフィルム的なB級感が画面のタッチや特殊メイクから漂う不思議さで、デル=トロの作家性がこの作品から滲み出ている。ヘススが一度誤って噛み付かれ、その後何度もクロノスに噛み付かれる様は、麻薬を射つ瞬間で危険な快楽に浸っていくような恍惚感にも見える。へススが首から人間の血を吸う演出は『ノスフェラトゥ』(78)を思わせる静謐さと優美さだ。劇中、へススが一度瀕死の状態から蘇った後から生死を彷徨うかのようなグレーの照明で一貫しているが、一度へススを亡き者と認識していた妻に迎えられるためにクロノスを壊し、再会する瞬間暖色の照明が灯り、へススの死と共に青白い照明に変わっていくシークエンスはリリシズムを讃えているようだ。